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石林公園の歴史

著者: ソース: 更新:2019-04-26

特殊で珍しい地形景観として、石林地形は早くから人々に注目されていた。「石林」という言葉が最初に現れたのは、およそ紀元前300年に詩人屈原が書かれた『天問』の「焉有石林(どうして石林があるのか)」である。

十四世紀の元時代に、石林景観に対する具体的な文字描写があった。「石門は陸良西の平地にある。石筍が十数周も密集している。大きいのは高さ百仞ぐらいで、不揃いで、遠くから眺めればまるで林のように見える。俯くものもあれば、仰向けるものもあって、千差万別で、東西に行く旅人はみんなそれを通り抜けるため、石門と言われている。」

十七世紀の明末清初になると、少数の探険者と風雅な文人が静寂な景勝を探して石林を訪れ、そして、石林の奇観を賛美する詞と賦を多く書き下ろした。例えば『石林歌』など。清朝初期(1712)に編纂された『路南州志』は石林についてより具体的に描いている。「石林、岩の高さは数十仞で、よじ登ってやっと入れる。その中には、奇石が林立していて、まるで千軍万馬のようで、軒が険しく、洞窟が連なり、都の縦横に交錯する大通りのようだ。色はすべて青で、精巧に鏤められており、いくら探しても尽きない。地下には川があり、水が雪のように冷たくて清い。」

最初に石林を西方に紹介したのは、19世紀末から20世紀初頭まで石林で31年間生活していたフランス人宣教師師のポール・バイアル(Paul Vial)である。百年あまり前に、彼は石林地域のイ族と石林地形に関する文章を書いて写真に合わせてフランスの関連ジャーナルに掲載した。1960年、ハンガリーの学者ディーンズバラージュ(Denes Balazs)は石林地形について詳しく説明した。(DENES)

1931年、元雲南省主席の竜雲氏が石林を視察し、賛嘆のあまり、「石林」のに文字を書いて、その後石柱に刻まれた。それ以来、「石林」は正式名称となった。同じく1931年に石林風景区管理処が設立され、少量の観光施設が建設され、石林(当時の範囲は主に大石林の局部)の公園としての歴史が始まった。

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